化学陶器を焼いた窯、京焼窯と同構造 立命館大調査で判明

10月30日8時6分配信 産経新聞

 立命館大学が進めていた「道仙化学製陶所」跡(京都市東山区)の発掘調査で、化学陶器を焼いた登り窯は、ほかの京焼の窯とほぼ同じ構造を持つことがわかり29日、同大学が発表した。化学陶器を焼いた登り窯としては唯一の遺構とされており、同大学では国の登録有形文化財として保存していきたい意向だ。

 道仙化学製陶所は、江戸中期の寛政年間からの歴史を持ち、明治に入って製薬会社などに納める蒸発皿やロート、耐酸容器、計量カップなどの化学陶器を生産していた。窯は清水寺に近い五条坂にあり、昭和37年ごろまで使われていたが、その後廃れたという。

 同大学では、窯の構造などを知るために平成17年から発掘調査。その結果、窯は全長約11・2メートル、最大幅5・1メートル、高さ約2メートルで、焚(た)き口のほかに、内部に製品を入れるための6つの部屋を持つ構造だったことがわかった。大型のレンガや「クレ」と呼ばれる円柱状のレンガなどで造られており、陶磁器を焼いた一般的な京焼の窯と大きな違いはないという。

 五条坂には、昭和30年代には約30基の登り窯があったとされるが、現存しているのは6基。その中でも、化学陶器を専門に焼いたことが確認されているのは道仙化学製陶所の窯だけで、全国的にも貴重という。

 調査にあたった同大学文学部の木立雅朗教授(窯業考古学)は「京焼の技術の中ではぐくまれた窯で、優れた歴史遺産といえる。関係者と協議しながら、国の登録有形文化財に申請し、町おこしのために活用していきたい」としている。

 現地説明会は11月1日午後2時から。雨天決行。問い合わせは立命館大学文学部歴史考古学ゼミ((電)075・466・3493)。

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