みやざき喜業人:宮崎高砂工業社長・仙台洋さん /宮崎

◇逆転の発想で新製品--仙台洋さん(67)
 1947年秋、秋田県に台風が上陸した。近くの川の堤防は決壊し、濁流が家々をのみ込んだ。

 「あれ、僕の家なの?」

 避難所から戻ってきた仙台少年の目に映ったのは、汚泥をかぶって朽ち果てたわが家だった。こんなにもたやすく家は壊れてしまうのか。

 あの時見た光景が、今の仕事への情熱となっているのかもしれない。

 高校卒業後、岐阜県の高砂工業に入社。タイル、茶わんなどを焼く炉の製造会社だった。事業拡大のため瓦の製造も始め、70年には県誘致企業として「宮崎高砂工業」を都城市内に新設、工場長として赴任した。

 れんがを製造し始めたころ、一つの試みが社運を変えた。規格外の瓦を粉状(シャモット)にして、れんがの粘土に混ぜたのだ。

 瓦のひび割れのクレームが端緒だった。冬場、瓦内に染みた水分が凍って体積が膨張することでひび割れは起こる。瓦やれんがの粘土は焼くことで水分が蒸発し、粒子レベルでの密度はより濃くなる。これが水気の進入を防ぐと考えられていたが、それでも瓦は割れた。ならば密度を求めるより、意図的に水が入りやすい空間を作ってやろうという逆転の発想だった。

 シャモットを混入して焼いたれんがは、内部に極めて細かな空間を作った。水は入りやすくなったが、逆に自然蒸発で出やすくもなった。

 「寒さに強いれんがを作ることは、結局、耐久性に優れたれんがを作ることにつながったんです」

 この手法で産廃れんがを次々に開発。廃棄物を使った「ECOれんが」は焼却灰、シラス、工場汚泥などを2~5割混入させる。環境れんがは、やがて主力商品になった。

 経営者として、「会社は大きな家だし、守らなければ」という。社員の家族が誕生日を迎えれば、メッセージカード付きの花を送る。社員の笑顔が何よりもうれしい。【小原擁】

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 ■メモ

 ◇宮崎高砂工業
 70年10月、都城市山之口町に設立。社員は34人。主力商品は瓦、れんが。瓦製造のノウハウを生かし96年に瓦くず、最終処分場の汚泥などを混ぜた循環型リサイクルれんがを開発。産廃物を利用して学校、公園などのまち作りに利用されている。01年に「グッドデザイン賞2001」、09年度の県「頑張る中小企業」にも選ばれた。

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