港区が保存、活用方針 内田祥三が設計 旧国立保健医療科学院

東京大安田講堂などを手掛けた建築家内田祥三が設計した旧国立保健医療科学院(港区白金台)の建物について、所有する港区は、保存を前提に活用していく方針を固めた。耐震診断の結果、補強工事で耐震性が確保できると判断した。二十三日、地元で開いた住民説明会で明らかにした。(松村裕子)

 区はこの建物を、がん患者の在宅緩和ケア支援センターなどとして、二〇一三年度の供用開始を目指す。

 建物は一九三八(昭和十三)年に国立公衆衛生院として完成。鉄骨鉄筋コンクリート、地下二階、地上五階、塔屋三階、延べ約一万五千平方メートル。高さは三十六メートル。茶色のスクラッチタイル張りで内田独自のゴシック風。隣接した東大医科学研究所と調和した外観。階段教室や研究室があり、建設当時のシャンデリアやドアが残っている。

 外観は、内田が先に設計した安田講堂をはじめとする本郷キャンパスの建物群と似ているが、本郷では左右対称に建物が配置されているのに対し、白金台では科学院と研究所は向きが異なっており、内田の新しい試みがみてとれる。

 区は、科学院跡地を昨春、区立小学校跡地と交換で国から譲り受けた。本年度の耐震診断で、補修の必要があるが、鉄筋やコンクリートの強度に問題はないと判明。戦災を免れた数少ない昭和初期の建物で、日本の先端医療機関だった歴史をもつことから、文化財として保存しながら活用する方針を固めた。

 説明会では、「文教地区の白金を象徴する建物で、区内に住んだゆかりの建築家の作品でもある」とも解説。緩和ケア支援センターを開設しても、半分以上スペースは空くため、活用法について住民を含めて検討し、改修工事を進める予定。先だって二月には建物の見学会を開く。

 <公衆衛生院> 1938年に発足した厚生省の付属機関。公衆衛生の研究と技術員の養成に当たった。2002年の組織統合で保健医療科学院になり、拠点を埼玉県和光市に移した。

 <内田祥三> 1885~1972年。東京生まれで、東大建築学科卒業。東大教授として本郷キャンパスや白金台の施設を設計。戦前に東大総長を務めた。自ら設計した区内の自宅から公衆衛生院を眺めて悦に入ったとの話が伝わる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA