野宮姉さんの手仕事探訪:/62 鰺ケ沢町・畳製作=工藤畳内装店 /青森

11月26日13時3分配信 毎日新聞

 ◇今の生活様式にも合わせ
 畳は日本独特の敷物だ。現存する最古の畳は、奈良・正倉院にある「御床畳(ごしょうのたたみ)」で、奈良時代に聖武天皇が寝床に敷いたものといわれる。筵(むしろ)のように薄かった畳が厚くなり、部屋全体に敷き詰められるようになったのは鎌倉時代以降らしい。
 日本家屋になくてはならない畳だが、生活様式の変化で需要は減り、後継者不足は深刻だ。「40年前は県内に400軒あった畳屋が約150軒に減った。あと10年で半分になってしまうのではないか」と危惧(きぐ)するのは、鰺ケ沢町で畳店を営む工藤清三さん(70)だ。弟の勝雄さん(67)、長男の範之さん(33)とともに畳作りの他、内装工事なども手がけている。
 同店の創業は江戸時代の寛永12(1635)年ごろで、清三さんが8代目とされる。記録が残るのは4代目からだが「初代は岡山から鰺ケ沢に来たらしい。西津軽郡の畳屋さんのほとんどがうちの流れをくんでいる」と語る。
 清三さんは高校時代から父・久三郎さんに畳作りを習った。畳は床(とこ)・表(おもて)・縁(へり)から成り、縫い合わせて作る。昔は稲わらの床も自前で作っていた。「家の新築は大体春から始まり、お盆前が畳を敷く時期で一番忙しかった。特に70年代は農家の景気が良く、家が次々に建ち、20以上の工務店から仕事が来ていた」と振り返る。
 畳の大きさは部屋によって異なり、それをぴったり仕上げるのが職人の技術だった。しかし工藤さんの店に設置された最新鋭の機械は、部屋の寸法を入力すれば畳の大きさを割り出して、ほとんど自動で畳を作り上げる。手作業なら1日5畳ほどしか作れなかったものが、20畳作れる。寺で僧侶が使う「拝敷(はいしき)」や「二畳台」、神社の「軾(ひざつき)」などの特殊な畳は今も手作りだが、それ以外はほとんどが機械製だ。
 材料も変化した。昔ながらのわら床は「湿気を吸ったり吐いたりし、日本の気候に合っている。弾力性や保温性もある」優れた素材だが、重いという欠点があり、木質ボードなどを使った軽い畳床が好まれるようになった。畳表も本来のイ草以外に、化学繊維や和紙などを使ったものが開発されている。
 「昔のものも大切だが、今の生活様式に合った仕事をしなければ」と清三さん。最近人気のある「縁なし畳」なども積極的に手がける。新たな商品づくりも模索中で、勝雄さんが考案した「六角畳」は、タイルのように敷き詰める、遊び心のある畳だ。老舗ならではのノウハウと柔軟な発想で、新たな畳ファンの開拓を期待したい。【野宮珠里】
      ◇
 ◇問い合わせ
 鰺ケ沢町・工藤畳内装店(0173・72・2351)
 (この連載は毎週水曜日に掲載しています)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA