【PJニュース 2010年1月13日】JANJANニュース2009年8月24日付け写真記事「この交通標識、ほんとに必要?」で指摘したが、昨年夏、宮崎市の中心市街地に、歩行者と自転車の通行を区分する交通標識が設置された。しかし、設置場所によっては逆に通行の妨げになるのではないかと心配していたが、その心配が的中した。自転車による標識への接触事故をきっかけに、標識の設置から半年もたたないうちに、国土交通省宮崎河川国道事務所は一部地域でこれらの交通標識を撤去してしまった。果たして、この交通標識は本当に必要だったのだろうか。
歩道上における歩行者と自転車の錯綜(さくそう)などにより、歩行者と自転車が接触する事故は、最近10年間で約4.8倍に増加している反面、自転車は排気ガスや騒音を出さず、地球温暖化対策としても大いに期待できる交通手段である。
しかし、自転車走行空間(約7万9000Km)のほとんどは、歩行者と自転車が混在する自転車歩行者道となっている。歩行者と自転車が分離された自転車道等の整備延長距離は、約2500Kmと、全体のわずか約3%である。
そこで、2008(平成20)年1月、国土交通省と警察庁では、全国98カ所に「自転車通行環境整備モデル地区」を設置し、自転車道・自転車専用通行帯(自転車レーン)等の歩行者と分離された走行空間を、概ね2年間で戦略的に整備することとなった。目標は、「欧米並みの自転車先進都市の形成」である。日本における自転車先進都市とされている名古屋市でも、自転車道ネットワークはパリの1割程度である。
このような中、宮崎県では日向市と宮崎市が、自転車通行環境整備モデル地区に指定された。
宮崎市では、既存の自転車歩行者道を、歩道と自転車専用通行帯に分けるために、橘通り、高千穂通り、橘通りを南に進んだ橘橋南詰からの中村通りなどに、今回問題となった歩行者と自転車の通行を区分する交通標識が設置された。
多くの人でにぎわう繁華街では、既存の自転車道が整備されているので、特にトラブルになるようなことはないが、人通りの少ない中村通りでは、カラー化されているものの歩道と自転車専用通行帯の区別は、路面にペイントされた1本のラインだけである。そのライン上に歩行者と自転車の通行を区分する交通標識が無骨に立っているのである。
Machi-BBSの九州掲示板内の宮崎市のスレッドでも、この標識が設置された頃からこの問題が取り上げられていた。その声をいくつか紹介する。
・交差点同士が非常に近いところでは、5メートル間隔くらいで標識が立っているところがある。まあ、ひどいのなんのって。
・ほんとに中村通りの区分標識は邪魔だし、危険。非常に狭い間隔で立っており、必要性に疑問を感じる。
・支柱が目立たなくて昼でも危ないのに、夜間は更に危険!ケガ人が出る前に早く撤去すべきだ!
宮崎市中村地区の住民からの苦情などもあったのだが、実際に接触事故が起きてしまったことで、国土交通省宮崎河川国道事務所は1月8日までに、この地区に設置した27本の交通標識を撤去したことを、地元紙・宮崎日日新聞が伝えた。
1月11日の午後に現場へ向かうと、標識があった場所には真新しいカラータイルが埋め込まれていた。この標識がなくなったことで、歩道及び自転車道はとてもすっきりしていた。これで接触事故も起きないだろう。
モデル地区として、歩行者と自転車の通行をスムーズに行うために設置した交通標識が、逆に接触事故を誘引してしまったことは大きな問題ではないだろうか。
国の事業仕分けの対象になっていれば、間違いなく「必要なし」という判断が下されるであろうこの事業。標識1本あたりの設置費は、約6万5000円である。撤去された地区だけでも27本あり、設置費用は約175万5000円。さらに今回、これらの標識を撤去したわけなので、撤去費用も余計にかかったことになる。これらはすべて国民の税金である。
地元紙に取り上げられたことで、今回のことを知った市民も多いだろうが、ひっそりと撤去されただけに、行政の対応が問われる。どうしてこのような無駄なことばかりやってしまうのだろうか。
地元紙に対して同事務所は、「設置環境に問題があった。利用状況などを把握し、安全に考慮すべきだった」と話しているが、お役人的な発想で、馬鹿な話である。国土交通省だけではなく警察庁と合同で行っている事業だけに、その有効性はどのくらいあるのか、はなはだ疑問である。
全国にモデル地区を設置する前に、霞ヶ関のお役人のみなさんが自転車を積極的に利用し、まずは、国の機関が集中している東京都で実施したほうが良いのではないだろうか。
この世の中、いや、国が行っている事業の中には、まだまだ無駄なものがあると考える。政府・与党は、この3月から再び事業仕分けを行う予定にしているようだが、国民からも「このような事業は必要ない」と思われる事業を出してもらうようなシステムはできないものだろうか。【了】