登別市の登別温泉にある老舗旅館「第一滝本館」(399室)で25日、年末恒例の大浴場清掃が行われた=写真=。
年末の大掃除は、普段は清掃業務に携わっていないフロント、調理部門などの社員が、1年間無事に営業出来たことに感謝して、男湯で実施した。
この日は35人が参加。デッキブラシと洗剤を使い、タイルや天井を丹念に磨いた。清掃後、浴場の支柱に長さ約5.3メートル、重さ約10キロのしめ縄を飾り付けて、全員で千客万来を願う一本締めを行った。
(2009年12月26日 読売新聞)
登別市の登別温泉にある老舗旅館「第一滝本館」(399室)で25日、年末恒例の大浴場清掃が行われた=写真=。
年末の大掃除は、普段は清掃業務に携わっていないフロント、調理部門などの社員が、1年間無事に営業出来たことに感謝して、男湯で実施した。
この日は35人が参加。デッキブラシと洗剤を使い、タイルや天井を丹念に磨いた。清掃後、浴場の支柱に長さ約5.3メートル、重さ約10キロのしめ縄を飾り付けて、全員で千客万来を願う一本締めを行った。
(2009年12月26日 読売新聞)
◇閉門蟄居(ちっきょ)・ひきこもり
ベランダの戸も、廊下に面した玄関扉も開け放つのが、仕事前の儀式のようになっている。気密性の高いマンションなので、放っておけば空気が淀(よど)む。屋外の酸素を取り入れたところで、パソコンの前に座り、仕事にかかる。疲れてくると片付け物や掃除、アイロンがけ。ときには楽器を弾き、本を読む。
決してパソコンにしがみついているわけではないのに、夕刻近くになると頭と体内がもやもやしてくる。もやもやが、わやわやざわざわに変わり、そうした焦燥感がぱたりと止(や)むと、今度は全身から気力が失われる。呼吸するのも億劫(おっくう)なくらいだるくて、蒲団(ふとん)に潜り込むしかなくなる。
そう、最近、頻繁に目にする鬱(うつ)の方の手記やブログそっくりだ。鬱と違うのは、とにかく這(は)うようにしてでも外に出て、家から離れれば治る、という点だ。換気しても、体を動かしても、「自分の家」という空間にいる限り、どうにもならない。
1日の大半を自宅で過ごせと言われたら、私はどんな豪邸でも1カ月と持たないだろう。馴染(なじ)み、環境の変わらぬ閉鎖空間では、容易に倦(う)み疲れ、感覚遮断の状態に陥る。
夏場に、子供世帯と同居している高齢女性が、家族に気兼ねして、公園のベンチで過ごして熱射病に、という痛ましいニュースが伝えられた。しかし今になってみると、家族関係に起因するような理由づけは、記者の問題意識の産物ではないのか、という疑問が湧(わ)く。
人間は飽きる動物だ。どこかに出て行きたがり、帰りたがる。真っ昼間の1日、自宅の馴染んだ光景、匂(にお)い、見飽きた顔に取り囲まれて過ごすことに、いくら高齢者とはいえ耐えられなかったのではないか。デパートの階段脇の椅子や、パン屋のイートインで、布袋を抱えてのんびりしているお年寄りの姿には「ご出勤」の趣があって、家庭に問題があるようには見えない。茶の間に居場所を定められるより、公園に緑陰と水飲み場が用意され、人々が忙しく行き来する繁華街に、ただで腰をおろせる空間を提供される方がありがたいのではないか。
以前、ネパールの村に行ったとき、寒い季節ではあったが、女性達が山羊(やぎ)や鶏の駆け回る屋外で、家の外壁にもたれて、筵(むしろ)やセーターなどを編んでいるのを見た。編み物は室内の仕事と思っていた私は少し驚いたが、よく片付いた狭い家の中は、窓が小さいせいもあり暗くて手仕事などできそうにない。
バリの先住民族の村でも、日常生活は、壁の外で営まれていた。女性が手仕事をしている4畳半ほどの明るいスペースは、タイル張りの高床で屋根はあるが、壁はない。足下の土間を豚が1頭走りぬけていった。とりあえず自宅だが、限りなく外界に近い。壁で囲まれている部屋は寝室だけで、こちらは、窓がなく真っ暗だ。地中海沿岸の村でも、わざわざ椅子を路地に出して、野菜の下ごしらえやレース編みをしている人々を見かけた。
ひょっとすると、家とはその程度のものなのかもしれない。私たちが思っているような、自身のアイデンティティーにかかわる本来的な居場所というより、休養と繁殖に必要なプライバシーを確保するための巣に過ぎないのではないのか。
光の強さや風の匂い、気温や風景がめまぐるしく変わり、見知らぬ人々が行き合う刺激的でストレスフルな外界と、壁に囲まれたぬくぬくと温かく湿った、薄暗い巣。正反対の環境を1日の中でリズミカルに行き来することで、人の正気は保たれているようだと、外出の叶(かな)わぬ締め切り直前の日々に痛感する。(作家)=次回は1月9日掲載
■愛の奇跡がトラック止めた
1991年にフジテレビ系で放送され、最高視聴率36.7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録した連続ドラマ「101回目のプロポーズ」。さえない中年男を演じる武田鉄矢が「ぼくは死にましぇーん」と叫んで道路に飛び出し、トラックを止めた場面は鮮烈だった。
会社員の星野達郎(武田)は、チェリストの矢吹薫(浅野温子)と見合いをし、好きになる。死別した婚約者を忘れられない薫だったが、次第に達郎にひかれていく。でも、越えなければならない壁があった。好きになった人を再び失うことへの恐怖だ。
それを知った達郎は道路に飛び出す。トラックが近づいてくるが、達郎は仁王立ち。ひかれる寸前でトラックは急停車し、よけていく。達郎は「あなたが好きだから僕は死にません。僕が幸せにしますから」と絶叫。薫も感極まって泣きながら「あたしを幸せにしてください」。
◇
撮影に使われた道路は、千葉県浦安市入船3丁目の「浦安シンボルロード」だ。
片側3車線、幅50メートル。JR新浦安駅をはさんで約920メートルしかないが、建設費は約9億8千万円に上った。
中央分離帯に松などを植え、歩道は高級感のあるれんがやタイルで舗装するなど「グレードの高い道路」(浦安市道路管理課)にしたからだ。
国の補助金で市が、埋め立て地に「海浜都市の顔」として整備した。ロケをしたのはできて間もないころだ。
近所の主婦(72)は「当時は周りが開発されてなく空き地ばかり。通る車の数も少なくて、運転の初心者が練習に使っている道路だった」と振り返る。
担当プロデューサーだったフジテレビのデジタルコンテンツ局長、大多亮さんは「トラックを何度も走らせることができる道路を探したら、たまたま郊外のあの場所になった」と話す。
武田は当初、この場面に難色を示した。「大人にしては幼すぎる行動ではないか」というのだ。大多さんは「トレンディードラマはこういうことをやるものなんです」と押し切ったという。でも、本番は「武田さんの演技はあまりにも見事で、ぼうぜんとしたほどでした」。
◇
撮影から約20年。周囲には高層マンションやホテルが立ち並んだ。車の通行量も多い。シンボルロードを海の方向に進むと、ヤシの木やおしゃれな建物が並んで、米国の高級住宅地ビバリーヒルズのようだ。
愛の力がトラックをも止めてしまう。そんな奇跡が起きそうな現実離れした空気が、今もそこに漂っている気がした。(赤田康和)
国の登録有形文化財答申で香川県からは、いずれも東かがわ市引田にある旧引田郵便局局舎や、日下家住宅の主屋と長屋門など計5件が盛り込まれた。
同局舎は木造平屋建て約80平方メートルで、昭和7年の建築。外壁は下部がモルタル塗り、中間部はタイル張り、上層部はモルタル塗りの3層に分かれ、最上部は郵便局を表す「〒」のマークをあしらった半円形のペディメント(入り口上部の装飾)がある。
正面と側面には八角形の窓が左右対称に配置されるなど、洗練された造りが造形の規範となっている。現在、内部は喫茶店として利用され、町並み見学に訪れる観光客の休憩所となっている。
日下家は江戸時代の大庄屋で主屋、長屋門ともに江戸末期の建築。主屋は木造平屋建て。明治期に改修されたが、上層農家にふさわしい重厚なたたずまいを見せている。長屋門は入り母屋造りで、軒にまで白漆喰(しっくい)を塗り込めるなど風格ある構えが歴史をしのばせる。
その他の2件は、松村家と泉家のそれぞれ住宅主屋。いずれも江戸末期の商家の建築で、古い町並みで知られる引田地域の歴史的な景観づくりに寄与している。
引田地域は江戸時代、海上、陸上交通の要衝として栄え、今回の5件の建物は、往時の庄屋屋敷や商家などが軒を連ねる一帯にある。
県立歴史博物館(横浜市中区)で12日、企画展「横浜開港の考古学」が始まった。開港に伴い来日した外国人の暮らしぶりをうかがわせるタイルや皿などの西洋遺物約180点が並ぶ。来年1月11日まで。
新県立ホール建設工事に伴う07~08年の発掘調査で、「山下居留地遺跡」(同区山下町)から出土した外国商館の建物跡や水道管、外国製のタイルなどが中心。開港直後から外国人が住んでいただけに、牛や豚の骨などのごみも見つかり、当時の生活をしのばせる。同市保土ケ谷区の会社員、成瀬紘一さん(67)は「がらくたかもしれないけど、文章より実物を見た方がずっとおもしろい。ロマンを感じる」と話した。
入館料は一般300円、20歳未満と学生は200円、65歳以上と高校生は100円、中学生以下は無料。月曜日と27日~1月5日は休館。土曜日の午後1時半からスタッフの展示解説がある。問い合わせ先は同館(045・201・0926)。【高橋直純】
ハノイ鉱産・金属精錬株式会社は8日、南中部カインホア省ニンホア郡ニントゥイ村で使用済み銅スラグ(船舶の研削材)の処理工場を着工した。この銅スラグは、韓国系ヒュンダイ・ビナシン造船社(HVS)による船舶の修理過程で排出されるもの。投資額は5000億ドン(約24億円)。
同工場の処理能力は年間33万トン。この処理過程で、多孔質鉄を年間約10万4000トン生産することができるという。また、銅スラグを原料して用いるセメントやタイルなどの生産ラインも工場内に設置する。
HVSは毎年15万~20万トンの銅スラグを輸入し8万~10万トンを廃棄物として排出しているが、これまで使用済みスラグを処理しておらず周辺に環境汚染を引き起こしているとして問題になっていた。
姫路城の「平成の大修理」で大天守を覆う工事用覆い屋の外壁に、姫路市が実物大の城を描くことになった。絵は、「昭和の大修理」の際、国の技官が描いたという修理後の城の完成図を拡大する。
覆い屋は高さ約53メートル、幅と奥行きが各約47メートル。来春、着工し、1年かけて完成させる予定で、絵は建設工事に併せて外壁に描き、早ければ来秋に出来上がる予定だ。
描くのは南側と東側の2面。南側は正面になり、JR姫路駅や三の丸広場から見える。東側は大天守が最もきれいに見える方向だという。
原画にする完成図は実物の100分の1の大きさ。鉛筆で下書きした後、墨で描かれている。これを実物大まで拡大し、縦2メートル、横5メートルのシートに印刷し、タイルのように張り合わせる。
岡本陽一・同市商工観光局理事は「覆い屋の中に何があるのかをわかってもらうのにいいと考えた。大天守が見えない間も、城の存在をPRできると思う。話題になってほしい」と期待している。
瓦屋根に木の戸、壁。たたずまいに趣がある。1階は広々とした土間。今ではそうお目にかからないタイル製のかまども据え付けられている。ひと昔前の農家のような和建築特有の温かみも漂う。それも道理。上矢田公民館(山口市大内矢田)は、集会場兼農家の作業場として、半世紀以上前の1952年にできた建物なのだ。
公民館は終戦後、地域の社会教育を担うべくつくられた公的施設のイメージが強い。上矢田公民館は完全に民間主導。若衆ら地元の人々が手弁当、手作りで築いた。寄る辺が必要だったからだ。それまではお寺で寄り合っていた。
公民館ができて間もない頃は、農は集落で担い、手仕事が基本だった。土間では人々がわらをない、米俵やむしろをこしらえた。田植えなどの繁忙期には、かまどでみんなのおかずをこしらえ、それぞれの家庭に持ち帰った。戦後が遠くなるにつれ、農の機械化が進むと、そうした手仕事の風景はいつしか消えた。でも、老若男女はそれからも、そこに集まった。
土間の隅には、少し色あせた木製の卓球台が置かれている。これも大人たちが手作りした。地元の自治会長、溝部一博さん(69)は、子供たちがそれで遊んでいたことを覚えている。テレビのない時代には映画上映会も行われた。
2階は畳の間。鴨居(かもい)が低く、昔の家特有の味わいがある。集会場として多目的に使われ、結婚式もあった。開館以来、長寿の人たちをみんなで祝っていたらしく、部屋には明治生まれの人々の名前がずらり並んだ額も飾られている。
そうした人々も多くは鬼籍に入った。県道沿いにあり、まわりには郊外型の大きなスーパー、飲食店が立ち並ぶ。そんな風景に上矢田公民館はやはり目立つ。山口市立の公民館は今年から、「地域交流センター」なる名前に変わった。時は滔々(とうとう)と流れるけれど、変わらないものもある。
(清水謙司)
□■ 上矢田公民館 ■□
山口市大内矢田地区にある。同市と防府市を結ぶ県道沿いに建つ。今でも大正琴の教室などに使われており、地元の人たちが運営、管理している。
◇人種問題、根深さ残し
マルコムX(1925~65年)とマーチン・ルーサー・キング牧師(29~68年)。ほぼ同時期に米国で黒人解放運動を率い、共に39歳で暗殺された2人の米国での評価は随分異なる。全米で敬意を集めるキング牧師に対し、マルコムは一時期、白人への敵意を隠さなかったこともあり評価は複雑だ。
白人至上主義者に父を奪われ、ボストンで子ども時代を過ごしたマルコムは、青年になりニューヨークの黒人居住地域ハーレムで暮らす。映画では、マルコムが犯罪組織のボスと出会うシーンを有名なジャズバー「レノックス・ラウンジ」で撮影している。
床タイルの六角形模様が印象的な店だ。オーナーのアルビン・リードさん(70)によると、撮影は3日間、店を借り切って行われた。ハーレム近郊出身の主演、デンゼル・ワシントンは撮影中もリラックスした様子だったという。
45年からこの街に住むリードさんは、マルコムの演説を聴いたこともある。「当時は犯罪や麻薬がはびこり、観光客なんて来なかった。90年代に市が警官を配備し、下水道を整備したことで様変わりした。今では白人や日本人の観光客も多い」と説明する。
マルコムはこの街で麻薬に手を染め、刑務所でイスラム教に出合う。マルコムが入った黒人イスラム集団「ネーション・オブ・イスラム」は白人を敵視した。映画でマルコムは「白人は悪魔だ」「我々は米国の犠牲者だ」と強調する。
58年にこの組織に入り、マルコムの側近になったアブドラ・アブドルラザックさん(77)は当時を振り返り、アフリカから強制的に連れて来られ、本来の名前も歴史も奪われた奴隷の末裔(まつえい)としての怒りがあったという。
アブドルラザックさんは、マルコムに言われた言葉を今も覚えている。「お前は白人の目を見られないはずだ」。自分でも気づかなかったが、地下鉄で前の白人の目をじっと見ようとするが、つい、自分から目をそらしてしまう。奴隷時代、黒人は主人から、「主人の顔をじろじろ見るな」と言われた。その精神的呪縛が解けていないことを悟った。
「マルコムによって、私の考えは完全に変わった。奴隷時代に黒人が植え付けられた考えから、マルコムが解放してくれた」とアブドルラザックさんは言う。白人には過激に聞こえるマルコムの言葉だが、白人を堂々と批判する言葉に黒人は精神的解放を感じたという。
映画では最後に、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が子どもたちにこう語る。「マルコムは、私たちみんながこの社会で人間として尊敬される権利を持っていると教えている」。白人との和解を成し遂げた黒人政治指導者に語らせることで、スパイク・リー監督はマルコムの再評価に挑戦したのだろう。
今年1月、米国は初の黒人大統領を生んだ。バラク・フセイン・オバマ。ミドルネームはイスラム名だ。マルコムが生きていれば今年84歳。この国で黒人がトップに立つことを彼はどう考えただろうか。アブドルラザックさんは「この国は奴隷問題を何も清算していない。今でも、この国に私の死に場所はない。マルコムも同じ思いのはずだ」と言った。米国の人種問題の根深さを痛感させる言葉だった。【ニューヨーク小倉孝保】
◇「人類への愛永遠に刻まれ」
マルコムXがマンハッタン北部のオードゥボン・ホールで講演中に暗殺されたとき、日系2世のユリ・コチヤマさん(88)は壇上で、倒れたマルコムの頭をひざに置き、「マルコム、生きて」と語りかけた。
コチヤマさんはハーレムで公民権運動に携わった市民活動家だ。現在は体調を崩し、カリフォルニア州の老人ホームで暮らしているが、マルコムとの思い出について書面で、「彼ほど人々を鼓舞し続けた人はいません。マルコムが示したアフリカや第三世界、そしてすべての人類への愛は永遠に人々の心に刻み込まれるでしょう」と語っている。
◇自伝もとに「神話」を実像に--93年公開
攻撃的な黒人解放運動指導者として知られるマルコムXの短くも鮮烈な生涯を、自伝を基に描いた伝記映画。白人を敵視する扇動的な運動を一時期展開し、神話化された人物の実像に迫る。映画化は難航したが、製作にも加わったスパイク・リー監督が脚本や出演もして完成させた力作だ。
ボストンのスラム街に住む黒人マルコム(デンゼル・ワシントン)はまじめに勉強するが、弁護士を志望しても学校の先生に黒人は無理だと言われ、憤りを感じながら列車の売り子として働く。その後、犯罪に手を染め、刑務所に送られる。
服役中に受刑者の影響を受けて本を読むうちに黒人の歴史を学び、イスラム教に改宗。出所後はブラック・ムスリムの指導者の下で頭角を現す。
60年代に入ると米国内は人種差別への抵抗の動きが活発化。マルコムはメッカを巡礼し、帰国後は新たな道を模索するが、65年にマンハッタン北部で演説中に凶弾に倒れる。同じく黒人差別撤廃を求め殺害されたキング牧師の非暴力主義と対照的だが、米国の黒人差別の歴史や公民権運動を考えるうえでも、格好の作品である。デンゼル・ワシントンはこの作品でアカデミー主演男優賞にノミネートされた。3時間21分。92年作品。パラマウント・ジャパンからDVD(税込み1500円)発売中。【鈴木隆】
∞芽生えた客迎える心
JR山形新幹線つばさの新庄延伸が4日で10周年を迎える。地域活性化の期待を一身に背負った新幹線だったが、関連事業への巨額の負担は、不況の進行と相まって地域財政を圧迫し続けた。企業や観光客の誘致に一定の成果はあったが、地域経済を押し上げるまでにはなっていない。終着駅新庄と最上地方の10年を振り返る。
「まさか実現するとは思わなかった」。新庄市長の山尾順紀(57)は、まだ市職員だった15年ほど前、県知事サイドから漏れ伝わってきた延伸話を耳にしたときのことを、そう振り返る。
その後退職し、市議から一昨年10月、市長に。財政再建のために給料の5割減を選挙公約に掲げた。昨年1年間の給与は575万円だ。
それでも、山尾は言う。
「新幹線がなかったら、新庄はもっと取り残されていただろう。借金返済で苦労しても、他の地域の人から見れば、新幹線がある新庄は、夢の世界だ」
◇
新庄駅に併設された総面積5100平方メートル、鉄骨2階建て全面ガラス張りの最上広域交流センター「ゆめりあ」は延伸の象徴だ。総工費61億円で、市が22億円を負担。西口中央広場(3億円)、東口交通広場(18億円)など関連事業費は合計230億円に上り、そのうちの37億円も市が負担した。
小学校改築工事や市民球場建設、広域事務組合のし尿処理場、廃棄物最終処分場建設などの大型公共工事も重なり、市の財政は危機的状況に陥った。さらに景気後退で、50億ほどあった税収入は06年度43億円に急減。03年度57億あった地方交付金も07年度は50億円に減った。
とうとう04年度に一般会計予算が組めなくなった。だが、そこから取り組んだ財政再建は成果を上げつつある。
新規の大型事業はせず、特別職報酬カットや一般職の期末手当、管理職手当のカットなど5年間で人件費計15億2200万円減と、計画(9億2800万円減)を6億円も上回った。市債残高もピーク(00年)の388億円から08年は293億に。ゆめりあなど延伸関連事業費の償還もほぼ終えた。山尾は「財政危機は乗り越えた」と力を込める。
◇
予算に占める必要経費の割合を表す経常収支比率は99・2%(08年決算)で、使い道が自由なカネは0・8%だけだが、少ない予算で効果を上げる方法も考えられてきた。
06年に始まった「協働企画提案制度」もその一つ。財政再建計画で既成団体への補助金がほとんど打ち切られた中、市民に芽生えた新たな取り組みを支援する試みだ。総枠30万円ほどの補助金の分配を市民から選ばれた評価委員が審査する。事業採択をめざして応募した団体は、公開の場で自らの活動をプレゼンテーションしてアピールする。
職員一人ひとりが、受け持ち区域を持って市民活動の世話をする「地域担当制」も定着しつつある。
◇
JR新庄駅西口の駅前通り商店街。6年かけた町並み整備事業は、この夏完了した。電線は地中化され、カラータイルの融雪歩道に民話をイメージした街灯やオブジェが並ぶ。
だがこの10年で、商店数は120から3分の2の80に。一昨年から商店街協同組合の理事長を務める茅野博(55)は「わずかではあっても、新幹線で観光客が増えたのは事実。でも、迎え入れる努力をしなかった」と自戒を込めて言う。「まずは話しかける。迎え入れる気持ちが大切。そして他の観光地と同じことをしていてはダメ。観光資源がなければ、ないなりの売り方があるはず」と力説する。
茅野ら組合役員はいま、先頭に立って、新庄駅前で観光客に声をかけている。「ワインのおいしい店がありますよ」「おそばなら、あの店とこの店」「手作り納豆の店もあります」――。首から下げた顔写真入りの「道案内人の証」が目印だ。=敬称略
(三浦亘)